ブログもどき

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真木よう子とコミケのあれ

かくしてコミケの平和は守られたのであった。てな感じですかね。
ネットニュースにもなって今後安易に踏み込もうとする行為への抑止にもなっただろうし。
オタクは満足な結果を得られたのでしょう。

自分は一応オタク側に属する人間だけど、今回の流れには賛同できかねる。


普段は叩かれがちなオタクも叩くときは容赦なく叩くんだなあと。
叩かれる痛みを知っていても自分の身にふりかかれば話は別か。
完全な自費ではないこと、本人の下調べの不足や見切り発車とか、そもそもの知識の無さを差し引いても、
無知であることは罪であるかのような袋叩きっぷりがすごい。
個人的にはやりすぎと思う。
実際に参加して頒布した上で問題を起こしたわけでもないのに。
問題を起こされてからでは遅いということか。


理念やルールに反することを行おうとするのは無論間違っているし、責められるべきではあっても、
今回は秩序を乱そうとするものを単純に排除したいという気持ちの方が強く見えてしまう。


そもそもコミケはクローズドなイベントから始まったというのはあるだろうが、
雪山を登山するのと変わらない雰囲気で、コミケに参加したいと言うと、
参加者から「安易に考えているなら来るな」って言葉と意識が先行するのを目にする。
「俺はルールを知っているからいいけど、知らないお前は来てはダメだ」と。

敷居が高いイベントであることに対して、それはそれで構わなくて、
文句をいうつもりも敷居を下げろというつもりもないが、
ルールとかマナーをきちんと周知した上でそれが守れるなら、というのが全体の発想にならないのはなぜだろう。
「本当に行きたいなら自分から調べるはず」、はあまりに排他的すぎないか。


無知であるところで意思表示をして、そこから他者から知識を授かるプロセスは果たして悪いことなのか。
無知であるところから、他者から知識を得てもなお秩序を乱す真似をするとは限らない。


今回に関してはコミケでなくともやりたいことができる場所はあるはずで、
今後も別に完全アウェイの歓迎されない場所でやる必要もなし。
無知で参加の意思表示をしてもルールを教えてくれて導いてくれる人々がいる場所に行くべき。